海外からのオンラインプロポーズ

コロナ禍で私と彼の遠距離恋愛スタート
台湾留学中にお付き合いを始めた彼とは私の留学終了とともに遠距離恋愛が始まった。私はもともとそこまで遠距離に抵抗はなかったし、台湾での2人の思い出がたくさんあるからそれを糧に頑張ればきっと乗り越えられる、またすぐ会えると思っていた。でも、誰も予想しなかったコロナの流行で、私の遠距離恋愛への甘い考えはもろくも崩れ去る。不安や葛藤・迷いや悩みを誰もが抱えた時期であり、自分だけではないからその部分は詳しくは書かないが、少なくとも私にとっても表現しがたい苦しい1年間だった。今目の前の生活にしても将来のことにしても確かなことは1つなくて、見えかかった光が幻のように崩れ去っていく・・・なんだかそんな1年だった。いろんなことを放棄したくなることもあった。でも、私には側で支えてくれる家族と離れていて会えないけど心の支えになってくれた彼や友達がいた。なんとか自分を奮い立たせここまでこられたのは、そんな周囲の人の温かさのおかげだと思う。
私と彼の計画と私の家の事情
もともとは2020年の間に彼が何度か日本に訪れて、私の両親と何度か会い、結婚を認めてくれそうなタイミングで改めて結婚挨拶のため日本に来る予定だった。私は彼の両親と何度も会っており、初めから彼のご両親の方が結婚大歓迎というムードだった。私はそれがとても嬉しかった。しかし、彼は私の両親に会ったことがない。会えそうな機会は2度ほどあったが、彼には申し訳ないが私が両親に会ってと言い出せなかった。というのも、私は3人姉妹の末っ子で姉2人が遠くにお嫁に行ってしまったため(上の姉は国内だが車で8時間ほどの距離・下の姉は台湾)、私は両親を支える最後の砦として、結婚後も両親のそばにいることを期待されていたのだ。私としてもできることならそうしたい。でも彼の仕事の都合上、もし結婚するならば私が台湾に行くという選択が最適だと思った。初めて両親に
台湾人の彼と付き合うことになった、将来は台湾に行くかもしれない。
と伝えた時の両親の表情を私は忘れることができない。「また娘が遠くに行ってしまう、それも海外に・・・。」そんな悲しそうな悔しそうな苦しそうななんとも言えない表情だった。その日の晩、家族会議を開き少し話し合ったものの、私も両親も暗く沈んでしまい、その後なんとも言えないどんよりとした空気の中数日がすぎた。両親にとっては「どこの国の人であってもどんな人であっても私が選んだ人なら構わない、ただ日本に、両親の近くに住んでくれるならば」ということなのだ。私は家族が大好きだ。これまで大きな愛を注いでくれた両親に恩返しをしたい。でも私が遠くに行くということが両親を苦しめると分かって、私自身苦しくてもがいていた。説得を試みるたび、理論的というより感情的になってしまい、家族とぶつかった。大好きな家族とぶつかるのが辛い、でもこの1年間、彼と会えなかった1年間、私と彼は様々な形で両親の説得をした。(説得方法については下記事で)
約丸一年かかった説得だったが、あるきっかけから両親が結婚を受け入れてくれた(あるきっかけについては下の記事へ)。そこからはもう私の気持ちが追いつく暇もないくらいトントン拍子で話が進んだ。(プロポーズから入籍まで一ヶ月弱)
壁を乗り越えた後の突然の幸せ
両親の説得を終え、そのことを彼に報告した日、彼はこんなことを言った。
頑張ってくれて本当にありがとう。すっごく嬉しい。
明日の夕方ビデオ電話をしよう!それと、明日の午前中何か届くと思うけど、開けないで。箱に書いてある文字も見ないでビデオ電話の時間まで保管しておいて。絶対見ちゃダメだよ!
なんか意味ありげ感満載だったが、私は翌日箱の文字を見ないように荷物を受け取り(至難の業)、箱を開けずそわそわしながら、夕方の電話の時間を待った。
ビデオ電話が始まりそこに写った彼は、ビシッとスーツを着ていた。

ん?なんでスーツ?
そう思ったが、そう言えば今日は何か正式な儀式に出席するからスーツを着ると言っていたなと思い出し、部屋着に着替える間を惜しんで、急いで電話の時間に間に合わせてくれたんだなとほっこりした。始めはたわいもない話をしていたが、彼が急に
今から歌を歌います!!
と宣言した。いそいそと音楽を流す準備をし、歌い始めたのはZARDの『負けないで』。どうやら何か始まったらしい。私は彼の歌う歌詞に耳を傾け、目頭を熱くした。
負けないで もう少し
最後まで 走り抜けて
どんなに 離れてても
心は そばにいるわ
追いかけて 遙かな夢を
(歌詞:坂井 泉水さん)
今まで何度も聞いたことがある曲なのに、こんなにも心に直接染み込む感覚は味わったことがない。この1年の2人のこと、これからの明るい未来のことを歌っているように聞こえて、彼が自分の思いをこの歌詞に重ねて届けてくれたのが伝わって、うるうるしてしまった。その後、
箱、開けてみて!
と。そこには、私がかつて彼との電話の中で、少し話したことがあるプロポーズ用のガラスの靴があった。一輪のバラには私の名前が刺繍してあり、ガラスの靴おきには、2人の名前が刻んである。そこにプロポーズの言葉を書いたメッセージカードも添えてあった。とにかくガラスの靴の見た目が可愛くて、見ているだけで幸せな気持ちになるような私の憧れを映し出したものだったし、私の何気ない発言を覚えてくれていたことも嬉しくて、胸が熱くなった。
本当は侑が台湾に来てから直接会ってプロポーズしたかったけど…
そう彼は、私の気持ちをよく分かってくれているとも思った。見通しの立たない『いつか』を待つだけでは、自分たちの未来は変えられない。今できる選択肢の最大公約数を拾っていく必要がある。女性なら特によく分かると思うが、私ももちろんプロポーズには色々な憧れがあって、理想もあって…。とにかくコロナが流行る前までは直接会ってが大前提だったから、コロナが収束するまで、プロポーズも結婚もないだろうなと思っていた。でも、いつ来るか分からないそんな漠然とした未来をただ待つのが苦しくなった。こだわりや理想はどうでもよくて、ただただ一緒に居たかった。どんなに苦しくても、コロナで大変でも、大切な人と一緒なら、笑い飛ばして前に進めるような気がしていた。毎日電話する中で私の気持ちを一番分かってくれているだろう彼は、いろんな固定観念を取っ払って、その中で最上級の形で思いを伝えてくれたのだろう。彼には感謝でいっぱいだ。コロナで会えなくなったことも、会えないから起きたすれ違いや喧嘩も、2人で支えあって乗り越えたことも全部全部、今だから、コロナ禍だから味わえたことで、将来2人で過去を振り返った時「そんなこともあったね」と2人の大切な思い出として語り合えるはず。ずっと夢見ていたもともとの理想の形では叶わなくても、これからの自分たち次第で最高の物語の1ページにすることはできる。だから、このオンラインプロポーズは私にとって間違いなく最高で、忘れないように私は密かに心に刻み込んだ。
おわりに:オンラインでも気持ちは伝わる
今、遠距離恋愛(国内国外関わらず)で結婚を視野に入れてお付き合いをしている人たちなら少なからず、会えないもどかしさに苦しんだり、こんな中でいそいで結婚しなくても、コロナが落ち着いてからもっと理想の最高の形で人生の節目を迎えたいと先に進めなくて悩んだり・・・いろんな思いが渦巻いているはず。私もそうだったからそのもがきは本当に痛いほどよく分かる。でも人生の節目ってタイミングが大切。どんなに2人の関係が良好でも1つタイミングを逃せば壊れてしまうこともある(過去経験済みで本当によく分かる←笑)。だからいつやってくるか分からないいつかを待つだけじゃなくて、一歩踏み出してみるのもアリだと思う。でも自分はよくても、両親世代がなんて言うか分からないから、踏み切れない人も多いはず。踏み出した今だから言えることだけど、不安や怖さを抱えながらも自分でしっかり考えて、自分なりに大切な人たちに思いを馳せて配慮して、相手の気持ちに寄り添った選択・行動をすれば未来はきっと明るい。これからオンライン初顔合わせ・オンライン結婚挨拶と前例があまりないことの連続で試行錯誤の日々だけど、下準備をしっかりして、自分の家族や彼や彼のご両親など大切な人たちの気持ちを慮って望めばきっと大丈夫。これからもまだまだ私と彼の奮闘は続く・・・。
●待っていても『いつか』は来ない
●前例がないことをするのは怖さが伴う
●今できることの中から最高の選択をする
●自分たちだけの気持ちで動かず、自分たちに関わってくれる支えてくれる大切な人たちの気持ちも大切にする